本多兄弟文庫は、豊田市出身の実業家で文化人の本多静雄氏と、その弟で文芸評論家の本多秋五氏より寄贈された資料を収蔵・展示し、両氏の功績を顕彰することを目的とした文庫です。平成10年に新図書館オープンを記念して開設されました。
兄の静雄氏は実業家として活躍する一方、陶磁器や民芸品の蒐集・研究家、茶人、狂言作家としても知られています。また弟の秋五氏は、戦後日本を代表する文芸評論家の一人で、トルストイ、白樺派、転向文学等の研究で有名です。このように活動領域の異なる兄弟の蔵書が一つの文庫に収められたのは、全国的にも珍しいケースです。
文庫の収蔵点数は、図書、雑誌、自筆原稿、書簡など合わせて8万点以上にも及び、多くの貴重な資料が含まれています。
また図書館の3階では、収蔵品の一部として両氏の著作やゆかりの品を展示するとともに、その活動の足跡を写真パネルで紹介した常設のコーナーが設けられています。
1898年、西加茂郡猿投村花本(現豊田市花本町)に生まれる。京都帝国大学電気工学科卒業後、逓信省技師、技術員部長を経て、1954年に日本電話施設を創立。同社会長、エフエム愛知会長、愛知工業大学教授等を歴任した。やきものに造詣が深く、特に猿投山西南麓古窯跡群の発見・発掘は、日本陶磁史の空白を埋める大発見となった。1985年に古陶磁研究者に贈られる小山富士夫記念賞を受賞。1988年に陶磁器の保存と研究により中日文化賞を受賞。1977年に豊田市名誉市民となる。また日本民芸協会理事、名古屋民芸協会会長、翠松園陶芸記念館初代理事長等も務めた。
1908年、西加茂郡猿投村花本(現豊田市花本町)に生まれる。第八高等学校を経て、東京帝国大学文学部国文学科を卒業。戦前は、プロレタリア科学研究所、逓信省等に勤務する傍ら、文学研究を続けた。1946年には平野謙、埴谷雄高らと雑誌「近代文学」を創刊し、中心的役割を果たした。戦後は逗子市に在住し、文芸評論活動を展開する傍ら、明治大学文学部教授も務めた。1965年に『物語戦後文学史』で毎日出版文化賞を受賞。1983年に『古い記憶の井戸』で読売文学賞を受賞。1991年に『志賀直哉』で毎日芸術賞を受賞。1996年に豊田文化賞を受賞。
本多静雄・秋五の両氏より寄贈された資料を公開しています。